林憲一 - 仕事の効率を大きく向上させるGenelecのリファレンス
■ジェネレックを初めて聴いた時の衝撃は忘れられない
―― まずは経歴について教えていただけますか。
1989年にVICTOR STUDIOに入社し、『稲村ジェーン』からサザンオールスターズを担当するようになり、そこからすべてのサザンの仕事に関わるようになりました。94年の『孤独の太陽』でメイン・エンジニアとなり、2005年の『キラーストリート』までの約16年間ずっとサザンでした。もちろん、他のアーティストを担当することもありましたが、ビクター時代の8割以上がサザンの仕事でしたね。2005年に仲間と会社を立ち上げ独立し、2014年からフリーで活動しています。これまで様々なアーティスト作品のレコーディング/ミックスやプロデュースも行っています。
―― Genelecとの出会はいつごろで、どのようなシチュエーションだったのでしょう?
入社した1989年にVICTOR STUDIO 401スタジオを改修することになり、ラージ・スピーカーをWestlake Audio TM-3というホーン型からGenelec 1035に入れ替えることになったのです。実際に設置されたのは90年の正月明けだったと思いますが、初めて音を聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。
―― 衝撃を受けたサウンドとはどのようなものでしたか?
ホーン・スピーカーは中域が張り出していて、勢いがあって強い音ではあったのですが、それと比較してGenelecは圧倒的にレンジが広かった。もっとも驚いたのが低域の豊かさですね。その当時リファレンスで使用していたQuincy Jones『Back on the Block』を再生してみたのですが、このイントロには30Hzくらいが振れるキックが入っていて、そのキックのリアル感と音圧には驚かされましたね。もちろん高域の伸びもすごくて、今までに体験したことのないサウンドでした。401スタジオはコントロール・ルームがすごく広いのですが、その部屋を十分に鳴らすことができるパワーもあり、これまでとはまったく別の世界でした。
導入から16年近く、ビクター時代の2/3をそのスタジオで過ごしていましたから、正に自分の一部といってもいいくらいの感じです。今も401スタジオへ行くことがありますが、音を出した瞬間から馴染める、自分にとって違和感のない音ですね。もちろん後輩たちが調整してくれているわけですが、一番すんなりと聴けるラージ・スピーカーです。
■基準としてパワードであることは非常に大きなメリット
―― 一方でニアフィールド・スピーカーは何を使ってこられたのですか?
当初はKRKとNS-10Mを使っていたのですが、97年頃に自分の手掛けた作品を海外でマスタリングする機会がありました。アメリカ・メイン州にあるGateway Mastering Studiosで、自分の音がそこのスピーカーから出てきたときに帯域が狭すぎる…と感じたのです。当時の自分のミックスは、音色よりも音楽に寄っていた側面があり、むやみに上下を伸ばすよりも音楽に集中できるように…としていたのですが、そのとき改めて「帯域が狭い、これはいかんなぁ…、今後はもっと帯域を広く使おう」という思いを強くし帰国したのです。その際、ニアフィールド・スピーカーを見直そうと試してみたのがGenelec 1030でした。実は、401スタジオには1030より少し大きい1031も入っていて、1031と1030、そしてKRKを比較してみたところ、解像度や高域の伸び、また低域の分離の良さなどの面で1030が一番しっくりきて、それ以来KRKのリプレースとして1030を使うようになりました。
―― Genelecはパワード・スピーカーですが、パワードであることの違和感はありませんでしたか?
仕事柄、他のスタジオにスピーカーを持っていくこともあったので、パワードであることは非常に大きなメリットだと感じていました。90年代はラージ・スピーカーのあるスタジオに行って仕事をするケースもよくあり、基本的には低域の感じを確認するためにラージを使うのですが、スタジオによって音はかなり違いがあるため、94年頃から自分の基準となるパワードのニアフィールド・スピーカーを持っていくようにしていました。90年代半ばくらいから多くのエンジニアが自分のスピーカーを持ち歩くようになるとともに、「絶対NS-10M」という考え方も変わっていきました。その背景には、100Hz以下の音が大きな要素を占め、30Hzあたりも入るヒップホップなどが増えていった結果、NS-10Mでは限界がある、と捉えられるようになっていったんですね。
―― Genelecはその当時8000シリーズへと移行していったわけですが、林さんの評価としてはどうだったのでしょうか?
8000シリーズが登場したころ、雑誌の取材で聴き比べたことがあって8040の印象が良かったです。もちろん良い音ではあったし、低域もしっかり出る。けれど1030とは音の傾向が変わり、中域の押しが強くなっていたんです。それならNS-10Mでカバーできるし、あえてすぐに8040に切り替えなくても1030とNS-10Mを併用することで、ブレンド効果がでるという思いから、結局導入は見送ったんですよ。
それで、独立するときに1030を引き取りました。愛着というかそれが自分の基準だったので、なくてはならないものでした。私自身これを使い続けていたし、スタジオ新設のお手伝いをした際も1030を推奨してきましたがついにディスコンになってしまい、アメリカのHi-Fiオーディオ市場向けに出ていた1030の亜流で、音もほぼ同じHT206というものを入手したり……。そんなこんなをしている間に、ついに自分の1030の調子が悪くなってしまったのです。
■The Onesシリーズは1030と比較してワンランク上のサウンド
ちょうどその時、雑誌の企画で30台程度のモニターを試聴する機会があって、正に自分のためという意味もあり聴き比べたわけですが、結局しっくりきたのは8040でした。だったら、これにするしかないな……と思っていたときにThe Onesシリーズの発表があったんですよ。8351はすでにリリースされていましたが、調べてみると8341がサイズ的にも良さそうだったので聴いてみたいと思ったんです。そうしたら知り合いのエンジニアがすぐに導入していて、ほぼ日本の第一号ユーザーとなったのです。さっそく、そこで音を聴かせてもらったところ、パッと聴いた瞬間に「行ける!」と思いました。
―― パッと聴いた瞬間に行けると判断できた理由は?
モニター・チェックのために音源をいくつか持ち歩いていて、それこそ20年近くいろいろな環境で聴いているんです。聴きつくしているだけに、いろいろな組成も分かっている。そのため、鳴らした瞬間に分かるというか、自分にとってまったく違和感のない音で捉えることができたのです。僕らがモニターで一番気にしているのはリズム録り。ドラムやベースなどを録るときに、音量をやや上げていき、立ち上がり感、食いつきをチェックし、それに耐えうる入力と対応能力があるのが大切なのです。YAMAHAのNS-10Mが持てはやされたのはこれがあるから。8341はピークが速く、アタック感も分かりやすい。そういう意味でもいいモニターだという印象でしたね。
―― 8341は使い慣れた1030と比較してどうだったのでしょうか?
パッと聴いた瞬間は非常に近いという印象でしたが、あとでじっくり調べて分かってきたのは、1030と比較して上下が伸びていて、中域も伸びているので、実際にはワンランク上のサウンドでした。その時点では1030に近いHT206を発注することも可能でしたし、中古を探すこともできました。けれど、僕らは新しいものを作らなくてはいけない人間。このタイミングで20年前のものをというとやはり違うだろう、と。だから新しいものを使わなくちゃ、という思いもあり8341を導入することにしました。
試聴したときから失敗はないという思いはありましたし、Genelecが目指している音も分かっているつもりではあったので心配はしていませんでした。実際導入してもそのとおりで、自宅でも使用していますし、スタジオへも持ち込んで使用している、もはやなくてはならない存在です。
■SAMシステムで仕事の効率を大きく向上できた
―― Genelecのルーム・レスポンス補正機能であるDIPやSAMシステムは使用されていますか?
GenelecのスピーカーはリアにDIPスイッチのEQがあり、これである程度の音質補正ができるようになっていますが、現場でリファレンス音源を鳴らしてみて、DIPスイッチで調整したり、インシュレータを使ったりもするわけですが、「この曲がこう聴こえるなら、こういう音だ」と脳内変換するのもエンジニアの重要な仕事。とはいえ、出ている音には反応し易いので、脳内変換をできるだけ少なくするために、低域が多いなと思ったらDIPスイッチでローをカットしたり、反射している壁や床に毛布を置いてみたり、吸音/反射を調整して追い込んでいきます。
―― The OnesシリーズにはSAMシステムが搭載されGLMソフトウェアで環境に合わせて自動で補正することが可能です。これについてはいかがですか?
もちろん、8000シリーズの時から知ってはいました。SAMシステムが自動補正するといわれたけれど、まあ、エンジニアは疑いますよね(笑)。補正というのは、そんなもんじゃない、と。DIPスイッチのEQがあるとはいえ、できる限りEQを使わず、ルームアコースティックで追い込むわけですし。普段、これだけEQを使って仕事をしているわけですから、「補正?そんなの胡散臭いでしょ」とね。ところが、実際に使ってみて世界が一変しました。
2000年を過ぎた頃から、テープレコーダーからDAWへの時代に大きく変わり、アーティストやアレンジャー、クリエイターもレコーディング・スタジオを使う必然性が少なくなってきました。もちろん、予算をセーブする意味もあるけれど、もっとリラックスした自宅環境で制作した方がいいものができる、という考え方に変わってきたのだと思います。その結果、コンソールのない環境で制作するケースも増えてきました。僕らは普通、コンソールの上にニアフィールド・スピーカーを置いてモニターするわけですが、コンソールの反射が凄くある。Genelecの場合には、この反射の有無を調整するために昔から160HzのDIPスイッチが用意されていますよね。NS-10Mは低域が出ないけれど、コンソールの反射によってそれなりにいい音で聴こえていたんです。だから、自宅環境で鳴らしてもいい音がでないのは反射が大きな原因の一つですね。つまり低域の体感の仕方がコンソールの有無で大きく違うし、スタジオによってコンソールも違う。部屋の形状や機材などによって定在波とかも、それぞれかなり違います。
8341には従来型のDIPスイッチがあるので、これだけですべて自分でできる。という自負心はあったんですよ。自動補正をすごく疑っていましたからね。でも、実際にGLMソフトウェアでSAMシステムを使ってみると、すごくいい状態に調整してくれる。それは単にコンソールの反射の有無というレベルではなく、部屋全体を上手に調整してくれるんです。これだけ懐疑的ではあったのに、今では重要な存在というより、ないと無理ですね(笑)。入ったことのあるスタジオなら、ある程度覚えているけれど、まったく初めてのところだとより大きな威力を発揮してくれます。もちろん、自動調整した後でも、部屋の環境による音の違いはあるので、毛布を置くなどの微調整はするわけですが、圧倒的に楽になりましたよ。SAMシステムのおかげで、脳内変換をする必要が減りすごく楽になりましたね。
―― The Onesシリーズは同軸スピーカーですが、その点はいかがですか?
同軸自体は、musikelectronic geithain RL906などは使ったことがあったりました。同軸は嫌いという人も少なくないですが、個人的には嫌いじゃないけど、積極的には使ってきませんでした。逆に、同軸だから良いとか悪いとかという判断はしていなかったので。ただ、同軸は位相の良さ、定位の分かり易さはあるけれど、センターから少しズレると聴こえなくなるというデメリットもありました。The Onesシリーズは、従来の同軸よりスイートスポットが広いのですが、それでもコンソール前のエンジニア席、ディレクター・デスク、ソファーで聴くのでは違いがあります。そこで、SAMシステムでこの3か所位で予め測定して、それを保存しておくのです。あとはワンクリックで反映することができるので、状況に合わせて切り替えて使っています。その意味でも非常に重宝しますね。結果的に、8341を導入したことで、長年使い慣れてきた音の基準をキープしつつ、SAMシステムで仕事の効率を大きく向上させることができたのは非常に大きなメリットでした。
取材協力 | LIBERA STUDIO南青山
インタビュアー | 藤本健
フォトグラファー | 八島
ビデオグラファー | 熊谷
林憲一
プロフィール 1989年にVICTOR STUDIOにてエンジニアのキャリアをスタートし、1990年のサザンオールスターズ「稲村ジェーン」の制作にアシスタント・エンジニアとして参加し、以降16年間に渡りサザンオールスターズの全作品に関わる。1994年には桑田佳祐「孤独の太陽」にてメイン・エンジニアを担当。2005年にORGANIC MIX DESIGN設立に参加し、2014年からはフリーランス・エンジニア/プロデューサーとして活動し、miwa、JUN SKY WALKER(S)、石崎ひゅーい、May'n、DISH//、WEAVERなど多数の作品を手掛ける。2018年にはマイクロフォンの歴史、構造から使い方、ヴィンテージ〜現行モデルまでを解説した「音楽クリエイターのためのマイクロフォン事典」を執筆。
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